第五次総合計画 (反対討論)
2009年 社会民主党 飛鳥井佳子
 この計画の素案・台本は、庁内総合計画策定委員会の、つまり、この理事者席に座っておられる部長さん方が、40項目に当初から勝手に絞ってつくられました。

 つまり、40項目の原案作りの政策形成段階で全く市民が参画していません。その上、4次総では、美しく見開きの一面を使って「向日市民憲章」が記載されていましたが、5次総では、単に「向日市民憲章の精神を基礎とする」の一文のみで、内容を今回一切消し去っています。

 平和や福祉・緑あふれる市民憲章は、向日市民のバイブル「願い」そのものですが、なぜ、それが消えたのか? 消してよいと思われたのが、市の幹部の皆さんだったというのは余りにも悲しいことです。

 この総合計画に書き込むべき一番大事な指標を欠いたことは、市民の願いに背を向ける大失態であると思います。まるで魂の抜けたような、うすっぺらなこの冊子を見て、誰が向日市に将来の夢や希望、また、市民としての誇りを感じることができるのでしょうか! これは単に行政の内部文書の一つであるのみでして、到底これからの10年の向日市のビジョンを表す総合計画とは言えません。とくに、これまで市民も議会も全く論議したこともない、地方6団体も検討していない「導州制」の文字が入ったことはもう論外の「悪書」であり、市民不在そのもので「追放」した方が良いものであります。特に、ひどいのは国民によって倒された前政権の古い考え方である「自己決定・自己責任・自己負担」、「地方でできることは地方でやる」とか、国から言われるならまだしも、自らこの財源の乏しい向日市で苦難を喜んでしょい込む、自虐的なええかっこしないことを高圧的に上から目線でこんなことを書かれたら市民はたまったものではありません。

 誰に褒められたいのやら知りませんが、もう政権も変わったので、向日市も、これまでの国民に我慢、辛抱を押しつける前政権の悪い癖から脱皮してほしいものです。この考え方が、実はこの国で10年以上も続けて3万人を超える自殺者を生んできたのであります。

 ご丁寧に「まちづくりの市政」のところでも、「@市民協働」の中にも「個人でできることは個人で、地域でできることは地域で、自ら決定し、実行する必要があります。」とあり、「自己責任論」を押しつける内容となっています。

 これは、これからの行政の10ヶ年の計画であり、もちろん市民も個々に頑張りますが、何といっても納税者、主権者である市民のニーズに対し、どのような行政サービスをしていくのかの計画であるべきで、これは市民に甘え、おんぶに抱っこであります。

 またまた失政のつけをこれ以上市民に押しつけられてはたまりません。

 この第5次総の当初、4月14日時点では、基本計画のBの「支えあい助けあう」の重点施策の(2)に「自殺予防対策の推進」(障害高齢福祉課)と確かに明記されておりましたのに、これが40項目から28項目にどんどん項目を減らす作業の中で、いつの間にか消し去られてしまいました。

 国も自殺予防対策に全力をあげている中、わざわざ書いてあったものを消し去るとは「人殺し計画」そのものです。

 自殺をするまでに追いつめられている一番苦況にある市民にすら、何ら助けてくれない行政は全く役に立ちません。

 当初、たった40項目ぽっちであったとしても、審議会はこれを4次総のときのように市民参画で内容を膨らませていくべきなのに、反対にズバ、ズバッと大事なものを切り落とし、ついに28項目にムリムリ絞った残骸が、この5次総で無残な姿をさらしています。そして実に、「無慙」です。これは仏教用語で「罪を犯しても自分で恥ずかしいとは思わない」の意味ですが、今日の向日市政を表す文字と言っても過言ではなく、この字のようにむなしく市民の心を切り捨てていると、私は恐ろしく思います。

 このように前回の第4次総のページ数と比べて、明らかなように、どれ程、民意をシャットアウトして切りすてたか。町内会でじゃあるまいに、一応、向日市は5万5千市民の生きる市なのですから、もっとちゃんとつくらないと他市と比べられたら、28項目しかない向日市は店じまいなのかと不信がられると思います。

 例えば、平和と人権と男女共同参画を一緒くたに、一項目にするというのは、この市はそれぞれの事柄に知識も教養もなく、何も知らないことを露呈しています。まさか、エッチメールの入っていた向日市のホームページを見ておくれ! とも言えませんし、広報は、また、他市に比べてお粗末中のお粗末ですし、せめて10年に1回の総合計画くらい、しっかりやる気を見せてくれよ!と、今、プライドをぺしゃんこにされた我々市民は思うわけです。

 本来の大事な施策について書き込みが足らないのは「知らないのか?」それとも「知っているがやりたくないのか?」そのどちらか、特に後者だと思います。

 大きな項目として取り上げられるはずだった「男女共同参画」が他の項目の一番下に数行に小さく踏みつけられたのは、やりたくないからに他なりません。

 先日、文教常任委員会で、学童保育を利用しておられるお母様方を前に、保守系議員が、「子どもが親の犠牲になっている」と、とんでもない働く母親を傷つける発言があったように、いまだ日本では、ジェンダーバッシングが横行し、古い家夫長制、男尊女卑「男は仕事、女は家庭で家事育児」といったステレオタイプが再生産されています。相変わらず、セクハラや児童ポルノ、女性への暴力、殺傷事件が多発するこの国で、女性は安心して暮らせません。

 キリンビール跡地に公園ができるが、なぜ「トイレはつくるな」と地域住民はおっしゃるのか? 子どもや女性が被害に遭ったら大変! とみんなが思うほど、女性という性は現実に差別を受け、被害は日常化しています。

 総合計画に、なぜ自殺対策と男女共同参画が必要かを申します。

 近年、我々の直ぐそばで男性の孤独死が増えているからです。これまで男は男らしくと言われ、泣き言をいえない高齢者が認知病になって怒りぽくなって、友人や知人や家族からも、うとんじられる事も多いです。昔、派振りよく、立派な会社で部下を従えていた上司の方は、とくに退職後、何をして時間を潰してよいか分からず、近くに友人もなく、病気にもなり、自尊心が傷つき、何もかもイヤになってしまわれます。どうにもならなくなっても、行政に助けを求めることもせず、大都会でなくてもこの頃、死後何日もたって発見されることが起こっています。もし、男性が我々女性のように家事育児を自立してできていれば、もうちょっと一人になっても楽しく豊かな人生を長く生きていけるのにと、平均寿命が10年も開いてしまって、本当に気の毒でなりません。

 今年10月、福島瑞穂少子化担当大臣は、就任早々、女性記者の子育てに配慮して記者懇話会の時間を通常午後6時過ぎから始まっていたことを仕事も子育ても両立してきた彼女らしく、「記者もパパ、ママの人達がたくさんいる6時に変わるのは、前政権と違って子育てに優しい」と評価しています。

 神奈川県でも、職員の残業ゼロ革命を来春より実行することになり、ワークライフバランス(仕事と生活の調和)で職員が生き生きと働けるようになります。

 女性にやさしい社会、ジェンダーの視点重視の社会は、男性にとって生きやすい社会になります。この理事者席に女性が一人もいないこの象徴的な図のようにこれまでの日本は保育所や学童保育の環境が整っておらず、女性の働き方もよく諸外国と比べていわゆる「M字型、カーブ」であるため急激な少子化となり、国が衰退しています。普段から男女共同参画でないため、いつまでもハコものづくり、道路づくりの「駅力」とか、どこかの選挙のスローガンの「活力」が闘歩して、いつまでも古い体質が直らないのであります。

 「5次は4次より退化した」と常々申し上げてきましたのは、とくに、5次は4次で4ページにわたってしっかり書かれていた優れた「男女共同参画」ではなく、まさにジェンダーバッシングだからです。

 4次総をつくるにあたり、女性市民団体や女性職員の方々が血のにじむような努力をされたこと、涙の跡がはっきりと見え、こんなに市民・職員の意見を取り入れ、立派な施策をつくられた岡崎市政を土足で踏みにじった第5次総は絶対に認められません。5次総で消えたものは他にも多くあります。例えば、4次総にある「市内循環型のコミュニティバス」。市民部は10年何もしてくれなかったし、今後もしない「怠け者計画」です。

 向日市長は、リーマンもドバイショックもどこ吹く風なのか、えらく景気が良くなると思っておられるようですが、ずっと以前、自民党幹事長だった加藤紘一氏も言っておられるように、日本経済はとっくにたそがれています。わずか1千万円程度の巡回バスすら、自らちっとも取り組まない向日市という怠け者に今どき、この駅力に国の交付金がタナボタで下りるなんてあり得ません。

 新政権も大きくコンクリートから人に方向転換されたことに向日市はうと過ぎます。市民は賢明ですので、出来もしない夢、絵に描いた餅をさも出来そうに「駅力」と書く時代ではありません。

 子どもの教育や子育て支援に全力をあげた実に頭の良い北欧諸国は国力と経済力が豊かになっています。

 デンマークでは、介護器具や痛くない注射針やおもちゃの「レゴ」の特許とかで、発展しました。弱者を社会の中心にインクルーシブして、人間を大事にする施策が国を救っています。はたして向日市は地域商店にやさしいでしょうか? 地元農家にやさしいでしょうか? 障がい者や高齢者や子どもや女性にやさしいでしょうか? ノー!であります。

 第4次総で大切にされていた福祉の心をズタズタにして生れた鉄筋コンクリートのように冷たい第5次総は、市民の願いを無視してJR向日町の東西自由通路の整備や周辺道路整備が多額の借金計画とともに登場しました。

 これについては後の市民請願の討論の中でも詳しく述べたいと思いますが、この空前の大借金問題については、一度頭をクールダウンされてバリアフリーを優先されるべきで、「駅力」に比重を置き過ぎた、もうこればっかりの第5次総計画は認められません。

 以前、野辺坂の石畳で、何億円もムダにされたように、もうこれ以上、建設部のハコものづくり、道路づくりに市民の暮らしを犠牲にする失態を繰り返されるわけにはまいりません。第4次総で、6ページにわたって「人にやさしい道づくり」と言ってきたのに、何をやっておられたのでしょうか?巡回バスひとつ走らせることも出来ぬ程、道路整備も出来ていないこの向日市で、実は市民が建設部に求めていることは「駅力」ではなく、「緑力」です。市民アンケートでも豊かな緑の保全へのニーズが一番多いのです。それなのに、これまで公園として買い上げるべき緑地をむざむざと何の手も打たずに乱開発にまかせ滅ぼしてきました。

 芝山公園横の美しい竹林やはり湖池の堤をつぶしてしまったのは、行政の無策がたたったものです。

 それなのに、5次総では、これまであった「西ノ岡丘陵の竹林」の文字を消し去ってしまいました。消し去られたものは他にもいろいろあります。

 当初40項目の中にあった「国民健康保険」の文言も消し去っています。今、市民が何に苦しみ悩んでいるか、考えないから、こんなことになっています。言わずとしれた高すぎる国保料や水道料金や下水道料金です。

 第4次総では、この国保について、その96ページにしっかりと「国保医療費給付費支払の状況表」までつけて解説されております。今回、当初40項目にあったのに、28項目にするときに、スルリと消え去っています。行政は国保のことなど考えていないということでしょうか? 時代劇なら悪代官が「お主も悪よのう」というところですが、今は主権者は市民でありますので、市民代表の議会がしっかりこの第5次総に反対することで時代を現代に導きたいと存じます。

 国保のような行政にとってイヤな問題には触れず、行政のやりたい事だけ書いたというのが、第5次総の実態です。

 それゆえ「平和」についての記述も、ブッシュ・小泉時代からオバマ・鳩山時代に大きく変わっても、まだ昔のままで第5次総は4次総より記述は少なくなり、向日市は相変わらず右へ傾き、こけかけています。

 第4次総では、人権について3ページを使い、平和についても15行あります。

 今回、5次総では、わずか3行。それも平和書道展では、子ども達に自由民主党の「自由」の字を書かせていますが、なぜ、「広島」とか「反戦」とか「反核」とかではダメなのかと不思議です。なぜか、市教委は「自由」と書かせます。とにかく、この5次総をつくった方々は、平和と人権と男女共同参画がお嫌いなんだとガッカリしました。

 この第5次総は、「総花的」だからと、これらの花を切り落としてしまったので、花も実もない「枯れ葉計画」で、この冬の季節にふさわしくお寒いものです。そうそう私、近々、乙訓文化芸術祭で「枯れ葉」をソプラノで歌うのですが、この第5次総を思いながら歌うと、すばらしく、うら悲しく、みじめに歌えると思います。それにしても、向日市は、JRの駅ごときで枯れるにはもったいない良い市ですので、もっと他の市民の喜ぶ施策にこそ光をあて、そこから新芽が育ち美しい花を咲かせられるような総合計画にしたいものです。

 第5次総で、大借金を負いかぶされた枯木に花を咲かせるための種まきを社民党は、一つひとつしっかりやっていくことをお約束して、反対討論といたします。